image(栗拾い)

【今日はひとりで】

近頃子どもたちだけで遊びが盛り上がるようになってきたきらきらっ子たち。取り仕切るのは年長星組のFちゃんです。

みんなからの信頼も厚く、「一緒にあそぼう~!」とせがまれる毎日。

でも、生来気分屋さんで仕切るタイプではない彼女。相手があまりにもしつこいと、「今日は〇〇とは遊ばなーい」とつれなく拒否してしまいます。
大好きなFちゃんからそんなこと言われたら、みんな悲しくてしょんぼり。
「Fちゃんが入れてくれない」と落ち込んで大人に訴えてくる人もいました。

大人から「〇〇ちゃんも入れてあげて」と口利きをするのは簡単です。でもそれでは子ども自身のコミュニケーション力は育たない。そう思えばこそ、
「そうかあ。どうしてかなあ?どうしたらいいかなあ?」と同意して次を促すに留めていました。

入れてもらえなかった子は確かにさみしい。お母さんに話す子もいて、「うちの子仲間はずれ?」とお母さんも心配。
でも、Fちゃんも今年は唯一の年長さんで、一人で4~5人をまとめる力はまだありません。見ていると特定の誰かと決まっているわけではなく、その日のFちゃんの気分や相手のしつこさ度合いで、まんべんなくみんなと遊んでいるのです。
しばらく見守っていましたが、Fちゃんの力量を見て、そろそろ「みんなで遊ぶにはどうしたらいいかな?」と促してみようかな、と思い始めていました。

 

そんなある日。朝の会が終わって、山道を歩き出すと

「Fちゃんあそぼう〜」と今日もオファーの嵐。どうしようかな〜と考えていたFちゃん。すると、

「今日はひとりであそぶ」と言ったのです。

「え!?」となるこどもたち。「だれとも?」「どうしようー?」と言っていたけどそのうち、

「じゃあ私もひとりで遊ぶ〜」「おれも〜」となりました。

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(ひとりで遊んでいても同じところに集まる)

でも、てんでばらばらに遊んでいるわけではありません。「一緒に」枝のブーメランを投げたり、坂を下りっこしたり「一緒に」遊んでいるのです。

このときの「ひとりで」は、大人が思う「独りで」ではなく、「じぶんで」という意味だったのかな?

じぶんで楽しいことを見つけて、だれかに教えてあげたりしながら、ひとりひとりが主体となって遊ぶ。遊びを人任せにしないで、個々が自立して楽しむ姿がそこにはありました。

その日は「遊んでくれない~」もなく、Fちゃんも下の子たちものびのびと遊びに熱中していました。

Fちゃんは狙ったわけではないだろうけど、「ひとりであそぼう」の表現で、自分一人が頼られて重たくなるのを回避して、一人一人の自主性を引き出したわけで。

すごいなあ~、恐れ入るなあ~と、感嘆のため息が絶えないのでした。

 

(なかごみ)

 

今日はひとりで